電車の座席とぬるま湯の話
私は風呂というものが好きで、いわゆる銭湯というものならず、自宅で浸かる湯船も好きだ。
ただ両方を同じ理由で好きかというと少し違っていて、後者の方はぬるま湯に浸かるのが理由だったりする。
どうしてもこのぬるま湯から出たくない時というのは存在していて、気がついたら3時間ほど湯沸かし器がない湯船に浸かっていたことがある。
この湯はだんだんと煮立ってくることはないが、体にもたらすものを考えたら、程度の違いこそあれ本質的な違いはないと思う。
いま私は電車で通勤中だが、運良く座席に座れている。他にも座りたい人がいるであろう状況のなか、とてもありがたいことだ。
ただ、今日はなぜか出勤が億劫だったのだが、そんな日はいつまでの電車の座席な座っていたくなる。初夏の気温が続く日が続いたと思ったら、コートが欲しい気温の日が最近は続いていた。
所属している場所が大きな問題を抱えて、自然と出勤時間から長くなっていた。
どちらかの理由、あるいは両方、または両者ともこの億劫な理由は分からないが、今、私はこのまましばらくずっと電車の座席に座っていたい。
電車の座席は、自宅の湯船と同じく優しさの温もりに包まれている。
ああ、今日は、仕事に行きたくないなあ。
このままどこか暖かい海まで電車が続いてあてくれないものか。